キーマンインタビュー

フェニックス・グループ・シティスーパー
  • ビジネス記事
  • キーマンインタビュー

フェニックス・グループ・シティスーパー

フェニックス・グループ創業者・シティスーパー会長 荻野 正明氏

「ターゲットニーズ」を創出し、

新たな市場に幸せを届けた

「香港ドリーム」の軌跡と未来


50社近いフェニックスグループの創業者であり、「香港ドリーム」の第一人者とも評される荻野氏。今回は、その転機の時の選択と未来の展望に迫る。


帰国命令を断り独立を決意



 「香港を閉めて帰国して欲しい。今後は、輸入に事業シフトしていくから。」と。本社からの突然の連絡が起業するきっかけとなりました。
 日本で生産されたメリヤス糸を販売する事業を展開するため、24歳の時に来港し、バックパッカーに人気の安宿、重慶大厦に2LDKを借りスタートしました。1969年、やっとこれからという時期でした。帰国命令を受け、日本に帰国するか、香港に残るか、悩んだ末に、退職金代わりに香港の事務所を譲り受け、想定外の起業を決意しました。



「人生、なんとかなる」を信条に


 しかし、起業から6カ月もしないうちに全く糸が売れなくなりました。また、香港で生産された電機製品、釜、プラスチックジュエリーなどをアフリカ、中近東に販売することも行っていましたが、品質面に問題があり、こちらも大して売れませんでした。当時、娘を授かったものの、ミルク代が稼げないそんな時期でした。しかし、お金がなくても不思議と首をくくろうかという気にはならなかったです。それは、根っからの楽天家だからか「人生、なんとかなる」を信条としていたからかもしれません。また、香港に赴任する際、先輩に言われた「命までくれとは誰も言わないから」というメッセージが今でも心の支えになっています。というのも、人間の世界って面白いもので、自分で動いたり、もがいたりしている内に意外となんとかなっていくもんです。不思議なもんです。「ネバーギブアップ」の言葉通り、諦めたらそこで終わりですが、諦めなければなんとかなるものです。


誰もやらないところに商機がある



 メリヤス糸販売から、さらにニット製品を製造し日本に輸出することを始めました。日本のアパレルが抱えるデザイナーから細かく指示されたものを製品化し販売する事業です。特に、日本のアパレル会社は、指示が細かく、数量は少なく、品質は厳しく、納期も短いことから、一般的にはどのニット工場もやりたがらない状況でした。そして、競合がいないこの事業だからこそ、商機があると確信しました。また、日本のアパレルは企画に苦慮していました。そこで、毎年イタリアの展示会に出向き、見たこともないような糸や素材で、編み生地、商品を製作し、「今年の秋冬の流行です」と提案を始めました。すると、「いつでも新しい提案がある」と期待され注文も増えていきました。この「提案」を始めた理由は、シンプルに、相手の立場から発想しただけのことです。
 当時はまだ、日本向け輸出はほとんどなく、それから12~13年後、日本向け輸出で世界一となりました。



一日一千万円稼いだ「プラダ」販売


 一つのことを頂点まで登り詰めると、いろんなことが見えてくるものです。次に、1986年、ヴィトン、グッチなどのブランド商品がやっと日本販売されるようになった時代に、日本を除く、アジア全域とハワイ、ニュージーランド、オーストラリアの販売権を獲得し「プラダ」の販売を開始しました。そして、ブランド品が集結するペニンシュラホテルの地下1階に開店しました。しかし、90%が日本の観光客です。「このブランドはいいブランドですか?」その質問ばかりでした。それから9年、右肩上がりだった売上は1995年大爆発します。日本メディアに広く紹介され、1階に移転したこともあり、営業時間の9時前には20名を超す行列ができ、店内では商品とお金が飛び交う戦闘状態です。50坪ながら、1日に一千万円売り上げる日々が続きました。しかし、プラダが1990年には自社販売に切り替えることを発表していたこともあり、10年契約を2回延長後、2000年「プラダ」販売を終了しました。


香港人生活を豊かにした「city'super」



 その2000年、西武百貨店が香港のディクソン・コンセプトに買収された時期です。帰国命令が出されたものの香港に残った日本人6名から、「香港の上流層(頂点)をターゲットとした食料品店(=現在のcity'super)」の事業を相談され、コンセプトに共感し、タイムズスクエアに一号店を構えました。通常、購入ターゲット層を分類すると、人数が多い中流層(センター)から下流(底辺)を狙うのが王道です。しかし、敢えて人数が少ない上流層(頂点)を狙っていることに価値があり、誰もやっていない商売だったからです。前行政長官ドナルド・ツァン氏から「city'superのお蔭で我々の生活が大きく変わった。素晴らしいことだと思います」と評された時は、大変嬉しかったことを覚えています。




現在、香港和僑会の会長を勤める荻野氏。「8割が成功する起業」を目指し、起業塾、起業クラブ、起業相談室、経営相談室など、起業家支援のプログラムを展開中。毎回、数多くの起業家が訪れ、学んでいる。


PROFILE

おぎの まさあき

1941年大阪生まれ。1966年8月、大阪の商社マンとして香港支社に駐在。1970年社名をFENIX(フェニックス)に変更、新会社として営業開始。1986年PRADA(プラダ)のアジア市場販売権獲得。1996年city'super(シティースーパー)設立。現在、香港和僑会会長として活躍。


<荻野さんを知るキーワード>


両親が初めて訪れたパリ旅行


今から28年前、荻野氏の生前の両親と一緒に初めてパリを訪れた時の写真で、友人の奥様との一枚。当時、二人の年齢を合計すると165歳(父=84歳、母=81才)。滞在中の5日間は、毎日元気にパリの街へ出かけ行き、楽しまれた。


賑やかな「年越しパーティ」


2015年2月、旧正月の夜、和僑会事務所で年越しパーティを開催。「年越しパーティはドン・ペリで乾杯!」というキャッチコピーが効果的だったようで、夜中0時のカウントダウンには、随分多くの方が集い、新年の祝杯を挙げたそう。


ミラノコレクションの達成感



2011年2月、ミラノコレクション・ファッションショーの打ち上げの一枚。ビジネスパートナーでもある奥様「荻野いづみ」さんと談笑する荻野氏。ファッションショーを終え、二人で、ある種の達成感に浸っていたそう。今でもその時間は、大切な宝物。



































フェニックス・グループ・シティスーパー

住所 Unit 329-330, 3/F Hankow Centre, 5-15 Hankow Rd, TST, KLN MAP
電話 852-2730-1055

ピックアップ

Concierge
コンシェルジュ公式App

CCG Concierge

上海・大連への
便利な街案内&生活情報アプリ!

ダウンロードはこちら
  • App Store からダウンロード
  • Android からダウンロード
  • App Store からダウンロード
  • Android からダウンロード

ピックアップ

Concierge 公式SNSアカウント
Concierge 公式SNSアカウント