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旅順 老房子を歩く
歴史をこの目で見る
旅順
過剰な再開発の波から逃れたため 街全体がまるごと博物館
独特の風格を持つ老房子が残され、世の転変を今に伝えている
旅順は清朝から軍事的拠点であり、戦争の激戦地でもあったため、ロシアと日本時代の歴史的な建造物が多く残っており、「露天博物館」といっても過言ではないほど。特に2.7平方キロメートルの太陽溝にはロシアと日本時代の歴史的建造物がそれぞれ100棟ほど残っている。ロシアと日本の建築様式が折衷されており、1階はロシア築、2~3階は日本増築、またはロシア風な建築であるが、桜のレリーフなどほかの都市では見られない装飾が施されている。歴史が刻まれた建物は、書物のように歴史を物語っている。
旅順駅、旧旅順大和ホテル、旧旅順工科大学、水師営会見所、旅順博物館、旧旅順師範学堂、旧ロシア旅順実業学校など、いずれも一見の価値あり。旅順における歴史的建造物を観光資源として活用することが必要だが、現状では建造物の破損・破壊の進行を食い止めることができていない状況にある。戦争の悲惨さを風化させず、後世に伝えるためにも大切に保存していきたい。

旅順工科大学旧址(茂林街89号 現 海軍406医院)
ルネサンス風の旅順博物館(旧 満蒙物産館)
関東庁旧址(友誼路59号)
旅順工科大学の初代学長井上禧之助旧邸(五四街11号)
旧旅順民政署(長江路77号 現 海軍招待所)
「大連の裏花園」との美称がある旅順太陽溝。秋になると金色に輝くイチョウの紅葉がとても綺麗
間口の幅が狭い旧横浜正金銀行(現 中国工商銀行旅順支行)
旧粛親王(川島芳子の父)府(建物自体を取り壊した「やりすぎ」保存)(新華大街9号)
ロシア指揮官のコンドラチェンの官邸(寧波街47-48号)
旅順黄金山近くにある溥儀楼はヨーロッパ風の建物で、ラストエンペラー溥儀が1931年長春に入る前まで一時期ここで過ごした。坂を下ると、左手に皇后が住んだ婉容楼がある。両方とも歴史文化財に指定されているが、両方とも荒れ果てて、窓も割れて無管理の状態だ。数奇な運命をたどった溥儀はこの地で、未来への不安を抱えながら、清朝の復興に向けて思いを馳せたのだろうか。
溥儀楼
婉容楼
婉容楼の回廊